ニューヨークの高層階の部屋に住み、仕事もそつなくこなす独身男ブランドン(マイケル・ファスベンダー)。
しかし彼は仕事以外の時間をすべてセックスに費やすような、セックス依存症だった。そんなシングルライフを過ごしている彼のもとに、彼氏に捨てられた妹のシシー(キャリー・マリガン)が飛び込んでくる。
他者との情を交わすことを渇望する妹と、ただ感情を排して繋がりを求めず性欲のみに生きてきた兄。
衝突する2人の孤独は、さらに深まっていく…
観賞日
2012年3月27日
【70点】
まずこの映画はR−18の映画だ。
それは、セックス依存症が主題だから。
だが、この映画はいわゆるエロい映画ではない。
R−18なのでかなりビビり目に劇場へ足を運んだ私も安心できたくらい、健全(?)・真面目な内容だ。
勿論行為の場面もあるわけだが、そういう場面には期待しない方が吉だ。
この映画の主人公、ブランドンはセックス依存症。
依存症ということはつまり、薬などと同じく一瞬の快楽のために”しなければならない”行為。
”快楽”というか、まるで”必要”だからするレベルにも達しているかのよう。
そこには喜びではなく、ただ単にストレスのはけ口としているだけ。
だからこの映画におけるセックスは、正直みていて辛い。痛々しい。
セックス場面で仰々しいストリングスをガンガンにBGMとするのには鳥肌モノ。
ロマンチックとか無音とかじゃなくて、まるで地獄を描いた演劇で使われそうな音楽。
セックスを徹底的に苦しさの中へと落とし込む。
この映画がスタイリッシュだ、衝撃だ、なんだと語られる理由が個人的にはここでようやくハッキリした。
特に終盤の畳み掛け方は必見。
そして浮かび上がる兄妹2人の孤独。
繋がりを持ちたくない兄と繋がりを渇望する妹。
この映画はただただセックス依存症を描くのではなく、孤独をあぶりだす。
セックス依存症の痛々しさだけではなく、2人の孤独がなだれ込んでくるかのよう。
この映画は、痛みを共有する映画なのだろうか。
と、劇場を出て、イヤホンをはめ、街へと繰り出してから感じた。
映画の最中は若干の退屈も感じていたが、まさか街に出てからジワジワとこみ上げてくるものがあろうとは。
孤独。街がそれに支配されているように感じてしまった。
しかしながら、
セックス依存症の主人公のように一時の享楽ではなく、
のちのちまで影響されるという形で映画を観れたという事実は素晴らしい。
それがこの映画のパワーに違いないのだから。
この映画でハイライトなのは、演技だ。
ブランドンを演じたのは、『X-MEN :ファースト・ジェネレーション』で主役・プロフェッサーを演じたマイケル・ファスベンダー。
文字通り全てを曝け出す体当たりの演技で、この難しい役どころを演じた。
ブランドンは口数が多いわけでもないので、基本的に表情が全てを物語る。
セックスした後の空虚な表情は凄い。これがセックス依存症か、と納得させられる。
ていうかさすが外人、でかい。
妹シシーを演じたのは『17歳の肖像』、『わたしを離さないで』のキャリー・マリガン。
彼女も体を張っている。
でもやっぱり『わたしを離さないで』とキャラクターは違うものの、現代っ子チックな演技が良い。
眼の中に悲しみが溢れる様に、やはりこちらの胸をグサグサと刺されているような気分になる。
非常に繊細で、神経を使いそうな映画。
ただこの映画、眠いときに観るとたぶん睡魔が襲ってくるタイプの静けさが支配しているので、注意。
予告編はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=5l8b0QFpodE
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