容疑者χの献身


帝都大学の准教授・湯浅学福山雅治)は、刑事・内海薫(柴咲コウ)捜査協力を依頼され、科学的に見事に解決していた。

そんな湯浅が天才と認める人物・数学者の石神哲哉(堤真一)の、隣に住む、花岡靖子(松雪泰子)は元ホステス、今は弁当屋を営み一人娘を育てている。ある日靖子のアパートに別れた夫・富樫が訪れる。

ある日、富樫が死体となって発見された。元妻の靖子が容疑者として捜査線上に上がるが、彼女には完璧なアリバイが存在していた…。




観賞日

2008年10月23日








【83点】









良い意味で裏切られた作品。




テレビのガリレオシリーズと同じだと思うと痛い目に会う。

近年のテレビシリーズの映画化はある程度のクオリティは期待できるものの、其処どまりのものが多く、ドラマの文脈がなくとも成立しうるほどの、『踊る大走査線 the MOVIE』のような衝撃的なものがなかった。

だが、今作はドラマの文脈が無くとも十分に成立する。その点からしてもう映画として素晴らしい。























今回はドラマシリーズでコンビで数々の事件を解決してきた福山雅治柴咲コウが主役というより堤真一のほうがそれに近い。
なんといってもタイトルが「容疑者χの献身」。
メインは容疑者χなのだから。



主役並(映画では主役?)に出演シーンが多い堤真一の演技力が光っていた。

まさかガリレオシリーズで感動するとは…
堤真一の演技にこちらも感慨を感じざるを得ない。


























ミステリー部分も勿論見応えがあるが、一番はストーリー。




ほとんど自らの想いを言葉には出さない石神。
だが、彼は「献身」する。
ただ、ひたすらに「献身」する。

その想いを読み取ることが今作における軸のひとつとなる。



ドラマ版では、湯浅(ガリレオ)が主役だったことで、痛快な科学推理もののイメージが強かったシリーズではあるが、今作はより人間の内面にスポットを当てて描いた要素が強い。

石神だけではなく、湯浅も人間味溢れる行動や言動をとり、テレビシリーズの湯浅とは違った一面を見せてくる。





人物達の心境は容易には言葉にならず、表情や行動でそれを読み解くしかないが、
それこそが劇場版の魅力。
テレビドラマの様にいつでもチャンネルを変えられたり、何かをしながらみれるわけではないからこそ成立する。じっくりと読み解くことが出来る。












全編を漂う乾いたような、虚しさが漂うような空気感も魅力的。

事件のほとんどの情報は観る側に与えられているのに、もやもやした感じ。
それは物語の中のガリレオ・湯浅も抱いているものと同じかもしれない。
























単なるドラマの映画化、ではなく
ひとつの映画作品として成立させてしまった点がこの高評価につながった。

今後もドラマ→映画の流れが続くだろうが、近作の様に毛並みの違う作品に挑戦してほしいものだ。