スペイン、バルセロナ。
きらびやかな都市の裏には過酷な現実があった。そこで生きるウスバル(ハビエル・バルデム)は、妻と別れ2人の子供と暮らしていた。そしてウスバルは当たり前の様に非合法な仕事--不法移民への仕事斡旋などをして稼ぎ、日々を生きていくしかなかった。
だが、そんな彼に非情にも癌の宣告がなされる。残された時間は2ヶ月。
彼は残された時間で何を見つけ、何をしようとするのだろうか。
観賞日
2011年7月6日
【78点】
アカデミー外国語映画賞ノミネート作品。スペイン語。
そして、カンヌ国際映画祭主演男優賞受賞。
『ノーカントリー』で無言の圧力のある冷酷な殺人鬼を演じて世界を驚かせたハビエル・バルデム。
前作はあくまで特殊な役で我々を圧倒したわけだが、今作はベクトルが全く違う。
今作は、
徹底的にリアルな、貧困にあえぎ非合法に手を染めざるを得ない父親。
だが、深い内面性をかもし出す。
表情一つ一つに心情が見え隠れする。ハビエルが演じたウスバルはとにかく眉をしかめているようなシーンが多い。2ヶ月というタイムリミットを自分のうちに隠しているからか、焦りが垣間見える。
ハビエルの演技がとてつもなく自然なのは、焦りや苦悶がワンパターンな演技ではなくそれぞれのシーンで、それぞれ意味を持っているから。
監督は、『バベル』で有名になったイニャリトゥ監督。
今までバラバラな物語が交錯する作品を作成してきた監督だが、今作では焦点をしぼった作品を作ることになった。
実は、黒澤明監督を尊敬し、『生きる』は今作のインスピレーションにもなっているらしく、オマージュしたシーンもある。
今回の映画のストーリーでは、「語らず」な部分が多い。
そこが今作の上手いところでもある。
説明的部分は殆ど省かれて、ウスバルやその周辺の人々の生活を切り取ったような形になっている。「〜という状況なんだ」だったり「〜ことだ」という説明は殆どない。観客は、与えられた視覚情報から全てを読み取る必要がある。
だが、その画面での説明のさせ方、かもし出し方が上手い。
ウスバルの家庭の食事からは貧しさが垣間見え、ウスバルの子供達への叱責は彼がしつけにうるさい父親だということを想起させるが、その後のエピソードからは彼ら家族の絆が見えてくる。
タイトルにもなっているBIUTIFULは、娘に間違ったスペルを教えてしまうウスバルによるものだ。ここではウスバルがまともな教育を受けられなかったことを暗示しているのだろうが、間違ったスペルだがこの親子の思い出は本当に”美しい”ものであるとも暗示しているようでもある。
さらにウスバルは霊能力があるらしく、墓地で死体の手を取りメッセージを受け取り、それを遺族に伝えることで小遣いを稼いでいた。ここでも霊能力なのかどうかなどの明快な説明はなく、ただなんとなく進んでいく。むしろ後半になってようやく分かり始める。
ウスバルの境遇は、国は違えど『ザ・タウン』や『ザ・ファイター』の主人公達にも重なるところがある。だが、ウスバルの空気にはそれらの作品の人物とは少し違ったところがある。
ウスバルには責任感と優しさがしばしば見える。
「この状況はしょうがないんだ」と諦めるわけではなく、自分のおかれている状況の中で責任を果たそうとする。だがその性格が更に彼を追い詰めてしまう点が、現実の非情さを感じさせる。
BGMでも魅せる。
例えば、ウスバルが娘と抱き合うシーンでは鼓動の音がクローズアップされる。観客も彼らのぬくもりを感じて、とにかく生々しくなる。
さらに霊的なものをウスバルが感じているときの不穏なBGMもかなり良い効果。
リアルな物語の中にあって超常現象が起こるというのは、ある意味物語全体を破綻させかねないわけなんだけれども、不穏なBGM(というか声?)は生活音と混じりあうかのようなバランスでつくられていて、観ていて自然だ。
(いや、起きていることは超常現象だけど)
ウスバルが普段から「それ」を感じ取ってしまうという”生活感”が溢れているとでもいうべきか。
最初のシーンの台詞。
「フクロウは死ぬときに毛玉を吐く」、「そっちには何があるのか」。
いきなりコレを観ても?としかならない。
だが、2時間30分を経たラストに辿り着く。
人は死ぬとき何を遺せるか、何を伝えられるのか。
毛玉程度でも何かを残せるのか。
様々な解釈を持てるこの映画で是非考えてみたいものだ。
↓予告編はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=h5O9ah7H5fg
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